牧師紹介


佐々木千沙子 牧師

      礼拝堂にて(2017年8月13日撮影)

略歴

 

1974年       日本宣教会代田教会(東京都)で受洗

20104月 日本基督教団沼津教会より教団認可神学校東京

                 聖書学校に入学

20143月 日本基督教団東京聖書学校吉川教会に就任

20174月 日本基督教団武生教会に就任

 

       現在に至る

 

 



教会へのお招き

佐々木千沙子

 

 私は豊かな自然界の中で生まれ育ち、その美しさに心惹かれ、この魅力と感動の中で生きる道を求めました。18歳のころ自分の心が虚偽と虚無、汚れゆえに、自分はゆがんだ人格であり、罪人であると思い、悩みが始まりました。それは洗礼を受けた親友と、アメリカのクリスチャン婦人の影響からくるものでした。二人の持つ光りと輝きは私の心の闇を照らしました。

 一年後日本宣教会代田教会に導かれ、初めて行ったその日にイエス様の十字架は自分の罪のためであったことを伝えて頂きイエス様を信じ救われる経験をしました。20才の時受洗、これこそが本物の人間の生きる道であると思い心は日々献身の生活でした。

 本気で神学校に入りたいと思ったのは、在籍していた日本基督教団沼津教会の宮本牧師との出会いでした。日曜日礼拝と午後の集会を終えてから、遠くの牧師不在の教会を兼務する牧師の、その働きの後ろ姿を見送る時、私は胸がいっぱいになりました。(私も神様のお手伝いをしなければならない。こんな自分でも神学校で教育を受けて、神様のお役に立ちたい。)その思いがこみ上げ、その度、「主がお入り用なのです。」との御言葉を頂きました。

 東京聖書学校吉川教会では深谷牧師よりの「神は最愛、神は最善、ヘセド・トーブ(ヘブル語)」の御言葉に引きこまれ、それがどんなことか、何を意味するか理解を求め思索しました。そのことがある時から頭ではなく魂に、その御言葉がストンと落ち、燃える岩石のようになって内在するようになりました。自然界の魅力と共に、聖書の御言葉が私たちを本当に生かす力となることの発見です。                  

 聖書の言葉はあなたの心に炎となって生きるのです。どうぞ、教会の礼拝にお出かけください。教会には良き出会いがあります。それはイエス様との出会いです。

 「 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」イエス・キリスト


武生教会歴代牧師の面影*

笠島末治**

 

*このタイトルの小冊子が武生教会に保存されていたので,以下に書き写した.

**以下の文章の著者,武生教会員,1960年1月6日逝去.


高桑守二先生(1928–1932)

 

 日基からメソジストにバトンタッチされて武生宣教を担当されるようになってから初期の時代としてはかなり長い方に属する伝道期間ではないかと思う.筆者自身が高桑先生時代に入信したものとして先生の思い出も深く,多くなることは許して貰う事にして当時のことを語らせていただくことにする.

 高桑先生は今でこそ還暦も過ぎ白髪の青年牧師として敬愛されていられるが当時は何といっても三〇代の若さで伝道には情熱を傾けておられたので,こうした情熱的な先生のもとによく青年が集まり,先生と一緒にその伝道活動に参加し用いられたものである.

 先生の伝道方針は根深い仏教国のこの土地柄では,誰にも分かりやすいイエスの福音を宣教することと土地の人たちと親しむことが一番初期開拓伝道としては大切と考えられたのではないかと思う.このことは集会の上に又近所の人達や街の人達に敬愛されていたことでもうかがえる.それは先生が転任された後何かの用事で武生に立ち寄られることがあって,もとの教会の近くに行かれると誰からともなく話し掛けられ,懐かしがられたことをもってしても証しせられると思う.

 教会のほうは   [編集中]