教会建物


武生教会建物の変遷

 早坂英介

 

 1926年に日本メソジスト教会武生伝道所が設立され,これが1928年には日本メソジスト教会武生教会となったが(「武生教会の歴史」参照),この時期には借家が教会建物として使われていた.借家についての詳細は分からないが,1929年に撮影されたC. P. ホームズ宣教師と信徒の写真(武生教会の歴史」参照)はその借家の前で撮られたものと思われる.その後,武生教会は武生町北府町(現 越前市国府)に民家を買い入れて移転した(土地は借地).1932年,潮田忠三牧師のとき,武生町北府町の礼拝堂が整備され,牧師館が新築された.「福井縣南條郡誌」に「日本メソジスト武生教会 武生町北府にあり.宅地六十八坪,建物四十坪七合(二十五坪礼拝堂,十五坪七合牧師住宅),信徒約二十名」とあるが,これはその頃の記録だと思われる.1956年,藤田祐牧師のとき,武生市国府(現 越前市国府)にあった礼拝堂が改築された.この建物は2010年に新会堂(現在の会堂)の完成に伴って取り壊されるまで使われた下記の「旧会堂」である.旧会堂が老朽化したため,新会堂の建築を目指して1983年より献金を始めた.2001年に越前市姫川に100坪,2006年にはその隣接地100坪を購入し,新会堂建築用地として200坪を得た.2003年に建築士より最初の設計案が示され,2007年に最終的な設計が決定した.2009年に新会堂の建築が始まり,2010年3月に竣工した.2010年4月4日に新会堂での初めての礼拝(イースター礼拝)が行われ,4月29日に献堂式が行われた.

(2016年7月記)


旧会堂(1956年改築〜2010年取り壊し)

武生教会前任牧師 五味明子

 

玄関に入って左側に台所があり、玄関の右側に洗面所と階段があり、2階に6畳の和室がありました。玄関からも台所からも引き戸で入ったところが礼拝堂でした。講壇の正面に掲げられた、本田弘慈牧師の書による「神は愛なり」の文字が礼拝堂に入る人を迎えてくれました。隣家がすぐ隣に建っていたこともあって、写真のように窓は壁の上の方にありました。牧師館への渡り廊下であったところを改築し、そこを集会室兼事務室にしていました。

 婦人会では新会堂建築のために月に2回昼食に300円のうどんを作り、婦人会からの献金としていました。作ったうどんを集会室に運ぶのに、礼拝堂を通らねばなりませんでした。礼拝堂にはエアコンが設置されていませんでしたので、夏は、集会室の冷房をかけて扇風機を使って礼拝堂に冷たい空気を送るようにしていました。2007年の冬の大雪に見舞われた時には屋根が傷み、礼拝堂のあちらこちらに雨漏りがして、天井裏に青いシートを吊るし、会堂の近くに住む信徒のご夫妻が夜、溜まった雨水をバケツで汲み出しに来られました。

 何かと不便もありましたが、そこに集まり、一緒に神様に礼拝を捧げ、聖書を学び、神様の愛を知り、キリストに出会い、讃美歌を歌い、新会堂建築の夢を語り合い、心を合わせて共に祈った、心の故郷のような場所でした。新会堂が完成し、旧会堂での礼拝最終日の2010328日の午後、今までの会堂に対する感謝と地域の皆様への感謝と新会堂への案内を含めて、武生教会の奏楽者たちはじめ姉妹たちによる「スプリングコンサート」を行いました。

(2016年7月記)

 

越前市国府2丁目にあった旧会堂.2010年夏に取り壊された.

玄関上に「武生キリスト教会」と書いてあるが,ポールの水色の看板には「武生教会」と

書いてあり,こちらが正式名称である.

旧会堂の礼拝堂


新会堂(2010年3月竣工)

早坂英介

 

新会堂は福井県産スギ材を使った木造2階建てで(2階は設備室と物置のみ),設計は山内康子一級建築士による(下記のスギ材のアーチを含めた礼拝堂の構造設計は増田建築構造事務所の増田一眞氏による).山内さんは越前市出身で,子どもの頃は武生教会教会学校に通っておられた.建物の外観や礼拝堂の内部は船の形に似ており,ノアの方舟を彷彿とさせる.しかし山内さんによれば,意図的に船に似せたわけではないという.新会堂の際だった特徴は礼拝堂の内壁から天井に渡されたスギ材のアーチが組み合わされた構造である(トップページの写真参照).スギの丸太を縦4枚に割いて曲げ,木栓で曲がった状態に固定して作ったアーチが4本ずつ天井の「かぶら束」で組み合わされている.これらの組み合わされたアーチが屋根と建物全体を支えている.建物の見える部分も見えない部分も,極力金物を使わない「木組み工法」で建てられている.礼拝堂の内壁は漆喰塗りで,正面の講壇の周りの壁には「大津磨き」という大理石のような質感の磨き加工が施されている.この礼拝堂は2010年に第五回日本漆喰協会作品賞を受賞した.礼拝堂は音響効果にも優れ,毎年いろいろなコンサートが行われている.エントランスホールや集会室などの内装もスギの無垢材で仕上げられており,落ち着いた雰囲気がある.

(2017年1月記)


新会堂のこと

武生教会前任牧師 五味明子

 

<復活の主イエス・キリストに出会った会堂建築>

 設計士が第1回目の新会堂の設計図と模型を作成し、建築計画の歩みが具体化したのが20031月でした。毎月1回懇談会を持ち、どんな教会堂にしたいかを語り合いました。教会は、境遇も年齢も個性も様々な人の集まりです。理想も希望も考え方も異なるお互いが一生懸命に協議しても一致できなくて当然でした。でも、教会はそんなときも、心を合わせて祈ることができます。

 主イエス・キリストは、かつてガリラヤ湖で弟子たちが漕ぎ悩んでいたときに彼らに言われた「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」(マルコによる福音書650節)の御言葉を通して、「会堂建築を導き、助け、祝福し、実現に至らせるのは、わたしだ!」と、語っておられると思いました。それで、キリストを会堂建築計画の中心にお迎えし、キリストに信頼する決心をしました。キリストに導かれて一致でき前に進んで来ることができました。山内設計士と施工をお願いした株式会社関組と向井大工さんはじめ真心と力を尽くして建築に携わってくださった皆様は、祈りに応えてくださる神様からの賜物だったと深く感謝しております。

 困難もありましたが、武生教会が皆で目指した会堂建築の歩みに、復活の主イエス・キリストが寄り添って共に歩まれ、導き、助け、私たちの思いに優る祝福を与えてくださいました。会堂建築を通して、十字架にかかり復活された主イエス・キリストは今も生きて私たちと共におられ、教会の頭(かしら)として教会を導き、教会の土台として支えていてくださることを経験しました。

 

<多くの人々の祈りと愛の捧げものが込められている新会堂>

 1983年に、会堂建築のためのビジョン献金が始まりました。その資金によって2001年に現在の場所の100坪の土地を購入しました。その後も、教会内では、それぞれが出来る真心からの献金を捧げ続けてきました。100坪の土地の上に教会堂を建てる計画を進めてきましたが、2006年に、その建築用地の隣接地の地主さんより売りたいとの申し出がありました。更に100坪の土地を購入したら建築資金は全く足りなくなり、着工が遅れます。けれど、教会総会で話し合い、冒険でしたが購入を一致して決断しました。200坪になった土地に、新たな設計を設計士にお願いして、現在の教会堂を設計して頂きました。

 日本基督教団福井地区の6教会から6年間、毎年、祈りの込められた尊い献金が寄せられました。福井地区諸教会の6年間の支援は、大きな助けと励ましになりました。2008年に、日本基督教団の全国諸教会に支援をお願いし、教会員の関係者にもお願いしました。全国各地の教会から、或いは個人から、知り合いから未知の教会や人々にいたるまで、胸が熱くなるような尊い献金をお送り頂きました。教会員の御家族からの思いがけない尊い献金にも助けられました。新会堂を楽しみにして祈り献げてくださったご高齢の教会員2名が完成3カ月前に天に召されました。ビジョン献金を捧げてくださって、県外に転居された方々、天に召された方々もおられます。この教会堂建築のために、祈り献金してくださった諸教会や多くの方々の愛が、1つ1つの建材の中に込められています。ですから、この教会堂の中に入りますと愛を感じるのです。そして、この教会堂に集う人々の集まりである教会の中に主イエス・キリストがおられますから、愛を感じるのです。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイによる福音書1820節)と約束されている主キリストが教会の内におられるのです。

(2017年3月記)


新会堂建築の様子

地縄張り.はじめは水田を埋め立てた更地だった

(2009年8月5日撮影)

礼拝堂の丸太アーチ作り.一本ずつ曲げて木栓で固定する

(2009年7月17日撮影)

基礎コンクリートの打設

(2009年10月1日撮影)

曲げたアーチをしばらく乾燥させる

(2009年7月17日撮影)



建て前

(2009年10月28日撮影)

礼拝堂の長椅子.建物の仕上げと同じく県産スギ材で作られた

(2010年3月25日撮影)


(2017年3月記)