牧師紹介


 後藤真英 牧師

略歴

 

19929月 福岡県北九州市生まれ

20034月 日本基督教団北九州復興教会で受洗

20057月 家族で埼玉県吉川市へ引っ越す

20114月 高校卒業後すぐ、日本基督教団認可神学校東京聖書学校入学

20153月         同                卒業

20154月 日本基督教団仙台青葉荘教会担任教師

       および日本基督教団東北教区センター主事代行

2017年4月 日本基督教団北九州復興教会担任教師

      (曽根集会所担当教師)就任

20214月 日本基督教団武生教会主任担任教師 就任

 

趣味はプロ野球観戦(ソフトバンクホークスがメインですが、全般的に好きです)とラジオ鑑賞(radikoプレミアムで全国のラジオを聴いています)です。


 母方の家系の関係で、生まれた時から教会に通っていました。小学校5年生の時に、クリスチャンとなりました。しかし、その時はイエス様を救い主とどれほど信じられていたか分かりません。その後、色々なところを経験して、主イエスは私の救い主であること、聖書が語られていることは私にとって大きな慰めであり、支えであることを知りました。イエス様は私たちとどんな時でもともにいてくださいます。

「わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。」(テサロニケの信徒への手紙一 510節 新約聖書 新共同訳)

福井どころか、北陸には初めてきました。雪国での初めての生活です。山や川、田んぼなど自然も豊かですし、日本海へも車で30分ほどと近いです。大変すばらしい場所に教会があります。是非、武生教会へいらしてください。



武生教会歴代牧師の面影*

笠島末治**

 

*このタイトルの小冊子が武生教会に保存されていたので,以下に書き写した.

**以下の文章の著者,武生教会員,1960年1月6日逝去.


高桑守二先生(1928–1932)

 

 日基からメソジストにバトンタッチされて武生宣教を担当されるようになってから初期の時代としてはかなり長い方に属する伝道期間ではないかと思う.筆者自身が高桑先生時代に入信したものとして先生の思い出も深く,多くなることは許して貰う事にして当時のことを語らせていただくことにする.

 高桑先生は今でこそ還暦も過ぎ白髪の青年牧師として敬愛されていられるが当時は何といっても三〇代の若さで伝道には情熱を傾けておられたので,こうした情熱的な先生のもとによく青年が集まり,先生と一緒にその伝道活動に参加し用いられたものである.

 先生の伝道方針は根深い仏教国のこの土地柄では,誰にも分かりやすいイエスの福音を宣教することと土地の人たちと親しむことが一番初期開拓伝道としては大切と考えられたのではないかと思う.このことは集会の上に又近所の人達や街の人達に敬愛されていたことでもうかがえる.それは先生が転任された後何かの用事で武生に立ち寄られることがあって,もとの教会の近くに行かれると誰からともなく話し掛けられ,懐かしがられたことをもってしても証しせられると思う.

 教会のほうは   [編集中]